お茶の活動

2024 / 03 / 31  23:26

「茶じいじのひとり言」~大谷~

「茶じいじのひとり言」~大谷~

こんにちは。

茶産地では新茶収穫前の春整枝が行われ、

種子島では今月18日に一番茶の摘採が始まり、

春の到来を告げているとはいえ、

激しい寒暖差に調子が上がらない茶じいじです。

 

3月にしては寒い日が続いても

「球春」の言葉通り、Jリーグに続き選抜高校野球、

プロ野球が予定通り開幕した。

その野球界では常に一挙手一投足が

耳目を集めているメジャーリーガー大谷翔平の結婚、

そして元専属通訳の巨額違法賭博報道と大変驚くニュースもあった。

そこで儂は日本代表にもなり、

アメリカ大統領とも面会を果たした大谷さんについて

改めて振り返ってみることにした。

 

1845年に現在の三重県松坂市で生まれた大谷さんは

19歳で横浜の茶商へ奉公したのち

スミス・ベーカー商会の製茶買い入れ方として

海外との取引責任者になった。

日本茶の輸出急増の影響で品質が低下すると、

1872年には粗製の防止と品質向上のために会社を設立。

1884年には全国の茶産地に茶業組合を設立し、

茶業を統括する中央茶業本部をも設立。

1899年にアメリカ、フィラデルフィアで開催された万国商業大会に

日本代表として参加した大谷さんは

当時の米大統領に日本茶に対する高い関税撤廃を直訴するのじゃ!

その結果として関税は廃止される等、

日本茶の輸出に大変貢献した大谷さんなのであった。

大谷さんの活躍はそれだけではないのである。

その10年後には静岡を訪れ、品種改良に没頭する杉山彦三郎に

私財を投じて試験地を購入し、提供したのじゃ!

もし大谷さんがいなければ、

儂らが口にする「やぶきた」は

無かったかもしれないと思うと大変感慨深い。

儂にとっての大谷さんは

翔平ではなく嘉兵衛なのである。

桜の花が咲き、暖かくなってきたら山手の天徳寺に出掛けてみたい。

そこには茶業の発展に尽力し「茶聖」とよばれた大谷嘉兵衛翁碑があるという。

 

後記

先日、大船で突然茶ばあばの聲が聞こえた。

「茶じいじよ、拙速に事を運ぶな」

茶ばあばに会えた喜びを伝え、言葉の真意を尋ねたくて

聲のする方へ近付いたが既に姿はない。

どうやら新年度も茶ばあば探しの旅は続きそうじゃ・・・。

 

追記

ブログ内の表現は全て茶じいじの主観であり、

日本茶インストラクター協会及び、

日本茶インストラクター協会神奈川県支部とは一切関係ありません。

 

写真は3月27日川崎市内で撮影した「さえみどり」